まぎれもなく浮遊

好きなものも出来ることも多くないです。別名義のnote: https://note.com/toiro_k

桃源郷って呼んで

とっても平和な木曜日。単発とはいえLIJのオールナイトニッポン放送決定がスーパーうれしい。喜びのテンションで仕事を終えてごはん食べて帰ろうと思って、前々から計画していたモスバーガーで王道ハンバーガー欲を満たすか、それともサイゼリヤで白ワイン呑んで早めにおうち帰って眠って週末直前の金曜日という一日を心穏やか且つ健やかに迎えるか、、、で悩みながら帰りの電車に乗ったんですけど、最寄り駅に着いた頃には全然違う気分になってて選択肢には無かった好きなカフェで普通に晩ごはんを食べました。晩酌を覚えてからは足が遠のいていたけど、久々に行ったらやっぱり居心地がよかった。しかし平日とはいえ夜の時間帯にお客さんが私を入れて2名という状態でちょっと心配にもなったんですけど、とはいえ私以外のお客さんはお一人でじっくり本を読んでいる方でしたし、なんなら穏やかな店内BGMに調理場の環境音(と言うのか?)がやたら心地よくて、これはこれで全然悪くないとも思った次第。でも好きなお店だからこそ続いてほしいし続くにはお客さんは多いにこしたことはないし、そうなると静けさ前提の居心地の良さが…という無限ループに飛び込むことになるわけで、間を取ってもうちょっと利用する頻度を上げようかなと思いました。間取れてる?

 

 

今日読み終わった本。
『愛のかたち』小林紀晴
どうしてこのタイトルにしたんだ? って、提案して否定されたくだりを読んで若干の疑問も湧いたけど、読み終えてみればちゃんと繋がっていることが自分なりにのみ込めて納得はできました。あるいは裏表と言うべきか。エピローグの多くのページを、東日本大震災の直後に写真を撮るために被災地に行くかどうかの葛藤に割いていることも答えの一端なんだと思う。写真家として生きながら批評家としての言説の鋭さをも持ち合わせた稀有な人です。自分の感情をここまで掘り下げて言語化できる人ってなかなかいないよ。

 

 

ところで帰宅途中の電車でXをひらいた時、こんな企画を見つけました。

なるほど。
普通に「二度と読まない」と思って閉じた本はもちろんあるけど、その理由が「読むのが辛い」ってのは意外に無いかもしれないなと我が身振り返って思ったものでした。『沈黙』とか『夜と霧』とか『アウシュヴィッツの図書係』とか東日本大震災に関するルポとか、もっと個人的な内容だと『八本脚の蝶』とか。読むのが辛い本であっても読むことで何かしら大きな感情が湧き上がったり掛け替えのないものを受け取ったりとかしているから、必ずしも「二度と読まない」とはならないかなあと。
だからここで言う「辛い」はトラウマ的な意味で解釈するべきですよね。それでいうと、本じゃないけど北九州一家殺人事件のWikipediaを読んだ時、あんまりにもあんまりな内容に体調を崩して寝込んだので関連書籍は二度となんて言わず一度だって読めないです。なんで読んだんだろう当時の自分…。知ろうと思えば何でも簡単に調べられそうな勢いの現代ですけど、ほんとに興味本位で近づかないほうがいいこともあるんだと心から思い知った経験でした。

 

 

なんか今日の日記の書き出し「とっても平和な木曜日」からずいぶん遠ざかった気がしてならない。戻ろう。ダリルを抱きしめて眠ろう。明日は金曜日だ。おやすみなさい。