まぎれもなく浮遊

好きなものも出来ることも多くないです。別名義のnote: https://note.com/toiro_k

不即不離 #わたしがブログを書く理由

2017年と2019年に、ここでブログを書いていた。
休まず毎日書くことを一年間続けてみよう、と思い立っての事だった。


そう決めた理由として、2017年1月1日に更新した記事の冒頭に、当時の疑問を書き残している。

メモを取る行為は記録したという安心感から忘却を促進する、という内容のことをどっかで読んだ記憶があって、それが本当なら日記を書くという行為は明日を気持ち良く迎えるための頭の中の整理たり得るのかなあと唐突に思った。

君の伸びた髪が好き。 - 己から聞こえる声

 

毎日書き続けることが「頭の中の整理」たり得たのかは、今となっては分からない。
でもその日に起きた出来事をその時の自分の感情でもって書き残すことで、昨日の縮小再生産ではなく、一度しかない掛け替えのない一日として記録されているのは確かだ。
「あとになって読み返すと面白い」という自分だけの楽しみは、書き続けた人が未来の自分へ贈れるギフトなんだと身をもって感じる。

 

2017年は毎日休まず書いたけれど、2018年は毎日更新をお休みしている。
その年はポルノグラフィティさんのライブ参戦であちこち出かけたり推しの握手会に初参加したりする一方で、半年ほど片思いにもだもだしていた時期でもあるから、同じように書き残していたとしたら読み返すことに赤面を伴わずにはいられなかっただろうなと思う。


その後恋人になれたことで、一緒に過ごす時間を経て迎えた2019年。
一年を経た結果、2017年のブログはその時の自分にとって、過去に綴ったものでありながら「恋人の存在を知らずに生きていた日々の記録」へと進化を遂げていた。
今の自分だったらどんなふうに毎日を綴るだろうか、という興味から、2019年1月1日から毎日更新を再開してみた。
元号が変わったり引っ越しをしたりポルノグラフィティさんの20周年をお祝いしたりプロレスラーの高橋ヒロム選手を知ったりと、いろいろな事が起きた一年だった。
(今となってはどちらの年も「コロナ禍前の日々の記録」たり得ている事を掛け値なしに貴重だと思う)

 

■ ■ ■

 

2023年は、日々の記録を紙の手帳に記録している。
一日の終わりに(書き忘れて翌朝になる事も頻繁にあるけれど)、一ページが一日分のその手帳を埋め続けていて、9か月以上が経った今はだいぶ厚みを増してきた。

しかしその中で、ウェブ上に公開するブログではなく、誰にも見せない手書きの文章として記録する行為に対して思うところが出てきた。


利点としては身近な人や場所の固有名詞を自重せず思いのままに書けることや、公開しないゆえの脈絡の無さが逆に妙味となることが挙げられる。
読み返した時に具体性をもって思い起こせるのは記録としては強みだ。

 

だけど一方で、推敲を経ずただ書き綴ること、もっと言えば一ページを文字で埋め尽くすことが目的となってしまっている。
ブログを書いていた時には有り得なかった事実に、9か月経った今になって直面した。

言葉が、文章が痩せてきている自覚を悲しく思った。
そんな中でここの存在を思い出して久々に開いてみたら、目に飛び込んできたのが特別お題「わたしがブログを書く理由」だった。

 

書かずにいた日々を通して「書く理由」に思い至るというのもなかなか天邪鬼な話だけど、そして時間もかかったけれど。
今思う「わたしがブログを書く理由」は「それが必要だから」という点に尽きる。

心のままに書くことと、公開する文章として納得できるまで推敲すること。
そんな不即不離の姿勢の両立。

それを経ることで、あとで読み返した時に楽しい、なんていう自分専用の付加価値がついて来ることを面白がれたら最高だと思う。

 

4年間でたくさんのことが変わった。
「推し」という単語が指す対象が変わり、新しく出会った感情や環境があり、戻らないものや損なわれたものがある。
かつてここに綴った自分とは別人と言ってしまっても過言ではないほどの変化だ。

だからこそ「書く理由」たり得るんだろう。
生き続けることと同義なのだ。