まぎれもなく浮遊

好きなものも出来ることも多くないです。別名義のnote: https://note.com/toiro_k

都会の空は狭いけど

晴れ渡った土曜日。素晴らしい。ゆうべ眠くて眠くて眠かったのでいつもより早く寝た事が良かったのか久々に休日に早起きできたんですよ。だから洗濯機2回まわして干して掃除もしてきたけどいつもよりも早めの時間におうちを出る事ができたのも清々しく嬉しい。電車も空いてたから余裕で座れたし、時間が早いからいつも行くスタバの1人掛けソファ席も珍しく空いてたし。嬉しさの連鎖。いま連鎖って入力しようとして推測変換で先に出てきた連載って入力しちゃって嬉しさの連載ってなんやねんって思ったけどそれはそれでわりとニュアンス伝わる気もする。ごきげんさんです。令和元年最後の土曜日いかがお過ごしですか。わたしはココアも飲み終わったのでこれ書いたら本屋さん行くよ。そんでそのあとは計画を実行に移す。期待しといて(業務連絡)。

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今日読み終わった本。

・寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか 渡辺一夫随筆集/渡辺一夫

森博嗣さんに倣ってつまらなかった本は読まなかった事にすると決めているので書名は挙げませんが、ひとつ前に読んでいた本の後書きに本書のタイトルが引用されていたんですよ。渡辺一夫氏のお名前も添えられて。そんでその時ちょうどこの本を積んであったので濫読の引き寄せすごいな〜って思ってたら「不寛容に対しては不寛容であるべきだ。不寛容によって傷つく人がいるのだから不寛容は許されてはならない」って主張が述べられてたんです(←ふたつめ以外の「不寛容」は内容をぼかすために置き換えてますけども)。いやお前が言う傷つく人がした行為や発言に対して傷つく人の存在は無視するんかいな、って白けて読むのやめちゃったんですけど、いざ本書を手に取って読んでみたら渡辺一夫氏は「不寛容に報いるに不寛容を以てすることは、寛容の自殺であり、不寛容を肥大させるにすぎないのであるし(127頁)」ってひとつ前の本の人と真逆の主張をされてるじゃないですか。本書の中にモンテーニュの『エセー』から引用されてる「人々は、我々の確信や判断が真実のために役立つのではなくて、我々の願望の作るものに役立てばよいと望む」という一文そのままだなって呆れたものでした。全然この本の感想じゃなくてすまないね。他の人の引用に触れて満足するのでなく本人の言葉を読まないとだめだと実感したという貴重な体験でしたよって話。モンテーニュもいつか手に取ってみたい。そして本書も良い随筆集でした。ひとつ前の本は定価で買った事を腹立たしくすら思っていたので、こういう本にお金を使えた事を喜びたい。