まぎれもなく浮遊

好きなものも出来ることも多くないです。別名義のnote: https://note.com/toiro_k

それしかないこともあるので

今日読み終わったよ登録をした本。

ヨシタケシンスケ/こねてのばして

癒しの絵本。ほのぼの。読書メーターの感想は好きな人相手にみたいなニュアンスで書いたけれど、でも序盤では発想と創造みたいな事を考えながら読んでた筈なんだ。時々は放っておいたら勝手に育つだとか、省みずに乱暴に扱うのは自分自身を蔑ろにするのと同じだから「自分の心に失礼だと思う」とか。読み進めていくうちにあのもちもちな見た目に和んで方向転換が発生したのかもしれないですわたしの頭の中で。こねてのばすという親愛の表現。触れられる距離ならではというやつです。

 


連休明けの火曜日。気付いたらお昼で気付いたら夕方。お正月休み明けが微笑ましくなるぐらい暴風雨圏内の如きあわただしさ。にもかかわらずおうちに帰ってきてもカフェイレの放送が無い絶望感。毎週聴く事を5年も続けてればそりゃ生活リズムもそこ基準になるというもので、週明け最初の出勤日といえばカフェイレという繋がりがすでに自分の一部に組み込まれているという事です。出来るだけ心穏やかに生きたい。慌ただしかったおかげで一日があっという間に過ぎたように感じられるのは良かったけれども。

職場でぽつぽつと体調不良の人が出てきてるのが怖いのでおうちから出たくないです。おうちから出なければウイルス的なものを貰うこともなくて体調を崩す事もないのだというのがおうち大好き人間の主張です。でも今日お昼休みに外に出た時の空気の清々しさ気持ち良かったなあ。冷たいほど澄んでるように感じられるのはおめでたい単純さだろうか。今おふとんの中でこれ書いてるので、すでに何度か浅めの寝落ちを繰り広げております。たっぷり眠るのやっぱり大事。脈絡の無さで眠気の度合いを測れる。いまとても眠いのだ。中身のない日。満ち足りた日に仕上げられるかというところも結局はいらんことをしないという意志の強さを発揮できたかどうかの結果。カフェイレも無いのに23時まで起きているのは睡眠時間いつもより少なめになるわけでその少なさは翌日以降の自分の時間をじわじわ圧迫しかねないものなのでほんとに寝ねばと思いながらだらだらと文字を入力している。時間の価値はそのまま生命に等しいというような事を読んだことがあってそれなら自分の時間を捧げることは愛と呼んで良いのではないかと思った。思っただけ。おやすみ。