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己から聞こえる声

好きなものも出来ることも多くないです。

君の伸びた髪が好き。

 

メモを取る行為は記録したという安心感から忘却を促進する、という内容のことをどっかで読んだ記憶があって、それが本当なら日記を書くという行為は明日を気持ち良く迎えるための頭の中の整理たり得るのかなあと唐突に思った。それなら必要なことだけど、一方で毎日同じ時間に起きて同じ電車に乗って同じ仕事してっていう代わり映えのない日々のサイクルに何の感情も湧かなくなるような、そういう感覚の鈍磨への貢献に繋がってしまったりはしないのだろうかと思う気持ちもあってそれは想像すると正直ちょっと怖いものがあるのだけど。

でも時間が経ってから自分が書いたもの見返したら面白いんですよね。よくこんなこと書けたね当時の自分、って感心したりちょっと嫉妬したりする。紛れもなく過去の自分なんだけども初めましてのご挨拶の心境。自己満足たのしい。

そんなわけで7年ぶりに日記を書いてみるのです。いや去年手書きで1日にA5ルーズリーフ1枚を埋める形式の日記はつけてたんですけど7月で頓挫しちゃったから今度はちゃんと続けるつもりで。それにどんな形式であっても文章って書かない期間が長くなるほど書けなくなるものだし。考えてることの出力のための回路が鈍るみたいなそんな感じ。知りながら鈍らせてたまるか。



ふつうの日記です。

有終の美を飾るかたちの2016年最後の夜、の余韻のなかで迎えた2017年の最初の日でした。

東京に住み始めてからは年末年始がお休みになったから元日に良い文章の本を読むようにしていて、3度目の今年は新藤晴一さんの『自宅にて』を読了。森博嗣さん以外の作品は初めて。はじめ良ければすべて良しと終わり良ければすべて良しを時と場合に応じて都合よく使い分ける奴なので、2016年が素晴らしい年だったように2017年に対しても期待しかないです。ふふふ。

夕方の西の空の、底の方のグラデーションの宵の青と鮮やかなオレンジの劇的な濃さがすごい綺麗だったけどiPhone携えて画面越しに見たらそんなでもなかったから目に焼きつけることにしてちょっと眺めた。引っ掻いたみたいな三日月と一番星もあわせて申し分のない光景。いつか読み返した時にこの書き方で眼前に呼び起こせたらいいね。



山本彩さんの話。

昨日の紅白の2曲目『君はメロディー』、知らない歌だからちょっと残念だなあって始まる前までは思ってたんです正直。でも蓋を開けてみればあの結果と驚きと歓喜と澄んだソロパートが待ってて、CD音源聴いたことない歌なおかげでなんの先入観もなくこの歌とあの夜の身体が震えるほどの幸せな気持ちが結びついてくれたのってものすごく贅沢なことなんじゃないかと思うようになってきた次第です。むしろ邪魔しないためにこれからも聞かないように見ないようにしたいぐらいだ。

ポルノさんの歌の多彩な振り幅を例に出すまでもなく、いろいろな姿や表情を惜しみなく見せてくれる人にめっぽう弱いのです。そして突出した才能を持っててそれを自覚しててちゃんと活かしてて、お笑いもできるテンションの高さ明るさのある黒髪の子となるとこれはもうのめり込まないわけにはいかなかった(人生で最初に惚れた子が生涯の原点であり続けるのは否定できない)。総選挙前に認識して一目惚れした事を思い出すと、出会いって本当に最適なタイミングでやって来るよねって思わざるを得ない。自分にとって必要だったから知る事が出来て好きになれたのだと考える質なのだけどこれは運命論者とは違うのかな。どうだろ。

わたしには万華鏡みたいな存在です。彼女のこれからがこれからも楽しみ。



明日は初詣行ってから本屋さん行こうと思います。

完全に書き方を忘れてる。ずっと前からの癖なんですけど日記でも小説でも全部書き終える前に読み返しては推敲する奴で、でもそれってiPhoneやパソコンでないと出来ない事で。手書きでざかざか書き進めた文章だとそういうわけにはいかないから(やってもいいけど修正まみれで見苦しいありさまになるのは許しがたい質)、結果的に手書きの文章とiPhoneとかで入力した文章って別人格ってぐらい違うものが出来たりする。だから面白いってことにしとこう。