まぎれもなく浮遊

好きなものも出来ることも多くないです。別名義のnote: https://note.com/toiro_k

抱き締める事に使う

曲げたくない信念とか達成したい野望があることは前に進む原動力にもなって良きことだと思うしそもそも外野が何かを言うような資格など無いことではあるのだけど。それを胸に据えていることによって、生きる時代に則した価値観を受け容れるだとか立ち止まって熟考するだとか自分の立場に置き換えて想像してみるだとか、そういう過程が蔑ろにされてしまうと待つものは悲劇なんだなと実感しています。騙し討ちとしか思えない狡猾さだと感じたし、素直さが溢れるからこそ残酷に抉る言葉だと思った。止める人がいなかった事も過程でなく開催そのものに憤っていると論点をすり替えられる事も悲劇の延長。音楽に罪はないのに、それ以外の要因で愛してきた歌をこれまでと同じように聴けなくなる哀しさや悔しさを想像すると胸が塞がる。

 


おうち大好き日曜日。曇天。いま入力ミスでおうちだいすいってフリック入力したせいでおうち大水槽って出てきてどんなんやねんってツッコミ入れつつ修正した。大水槽。水族館によくあるトンネルみたいになってるやつかな。頭の上を魚が泳いでいくの。楽しそうじゃないか。

昨日はぬいぐるみの汎用性の高さに想いを馳せる日になりました。写真撮り忘れたけど鶏天そばも茄子の天ぷらも美味しかった。わたしは掛け替えのない時間を過ごせたと思っていますよ。

 


今日読んだ本。

・きれぎれ/町田康

こないだ町田康の『湖畔の愛』を読んだ時に、昔の作品はブッ飛んだまま突き抜けるけどこの作品はブッ飛んでるなりに起承転結も伏線回収もしっかりある!と感じたんですよ。そんでこれ久々に読んだらまさしくそのブッ飛んだまま突き抜ける系の代表作と言っても過言ではないなと俺は僕は思いました。芥川賞の懐の広さ凄いな。でもブッ飛んでいるって言っても、人間の思考の多種多様さとか発想や連想の飛距離とか破天荒さとかって外側からは見えないけど可視化させるとしたら、そしてその可視化の手段に言葉という表現方法を駆使するなら本作は見事な活写だと思う。初読の時の自分の感想を読み返したら町田康を母国語で読めるのは凄いことだ的な事を書いててデスヨネーって思った。歌うように読んだ。ところで同時収録の『人生の聖』は、『夫婦茶碗』に収録されている『人間の屑』とセットで読んだら新しい世界がひらけたりしませんかね。出版社違うけど。