己から聞こえる声

好きなものも出来ることも多くないです。

足取り軽やか背筋まっすぐ

土曜日です。
髪を切ってデジパかけなおしてきました。担当の美容師さんが4回目にしてようやく思い切ってくれたおかげで、久々にここまで短くできた!って感じですっきりさっぱりです。洗うのも乾かすのもものすごい楽。
そのあと本屋さん寄ってあげくの果てのカノンの4巻を買ってから好きなカフェでお昼食べて読んで、ちょこちょこ寄り道して旅支度のための買い物をして帰宅。帰り道がなんだかやけに風が強くて枯葉が下から上に舞ってるわ歩けないわで面白かった。スカートぶわぁ!なる類の吹き方じゃなかったからふつうに面白かったよ。
寒かったから晩ごはんのためにたまねぎを時間をかけて煮込みました。やわらかくなった姿を眺めながらこのなんにでもなれる可能性すごいなって思った。顆粒コンソメだろうと鶏がらスープだろうとお味噌だろうとカレールーだろうとシチューの素だろうと受け止めてみせるだろう度量。今夜は途中でピーマン足して更に煮込んで豚肉と小松菜足してちょっとだけ煮込んでチューブにんにくチューブしょうが鶏がらスープ砂糖醤油をちょっとずつ入れてお味噌投入したミソスープ的なやつにした。にゅうめんにしたかったけどお素麺がもう無かったから普通にごはんと食べた。食後にリンゴ食べて美容師さんがくれた新婚旅行みやげのチョコひとかけら食べた。ありがたおいしかった。


今日読んだ漫画と本と読了した本。
米代恭あげくの果てのカノン(4)
購入前に表紙画像をAmazonで見た時には、こんな初穂さんみたいな笑い方をするようになってしまうのかって少し悲しかったけど実物を手に取ったら紛れもなくいつものかのんだった。雨も確かに降ってるけどよく見たら泣いてる。そしてツイッターで指摘してた人がいたおかげで知ったけど本当に裏表紙に先輩がいないんですね……胸が痛い…。
急展開だらけで気持ちも周囲の関係や反応もめまぐるしく変わり続ける波乱の4巻でした。それでもそんな中でもかのんの想いはブレずに先輩の方だけを向き続けていて、そのブレなさが悪いほうへ悪いほうへと次から次に作用する描き方が生々しかった。一途に想い続けてきたからこその視野の狭さ、先輩以外の周囲が全く見えてない幼稚さや自分勝手さの描写がもう本当に読んでて居た堪れないの半分腹立たしいの半分って感じで…(似合うね、の一言を読んだ時にはコイツ飲み会の時にマリが言った事何一つ理解してないだろって思ったよさすがに)。好きだからこそ傷付けばいいって気持ちををもはや隠そうともしないヒロと、ヒロごときの言葉では全く傷付かない(その場ではヘコんだとしても先輩の言葉が痛みを一瞬で浄化させる)かのんっていう一方通行も読んでてしんどい要素のひとつ……読むのほんとしんどい(この作品に関しては褒め言葉)。
どれだけ見た目が似ていようとも先輩じゃない他人なら興味が無い、じゃあ性格や人柄といった中身が別人のように変わり果ててしまった先輩の事は変わらずに好きでいられるのか?という話運びの凄さよ。中身は変わらず優しいまま外見は怪我でグロテスクな変貌を遂げた先輩、は2巻で既にやってるからね。ついにここまで来たかって感じですよね。先輩が心変わりから逃れられない存在だからこそ好きな人に想いが届く幸せを知る事が出来た、そして今度はかのんの番。SF要素を取り入れてるからこそ劇的にグロテスクに描かれて話が進むけれど、これぐらいの心変わりなら日常生活でも起こり得るからね。「先輩が初めて本音を言った気がした」と感じるかのんが愚かでいじらしいです。この終わり方で夏まで待つのしんどいなあ…。続きが気になりすぎる。
阿川佐和子 他/こぽこぽ、珈琲
この美味しい文藝シリーズ、ずっと気になってはいたけど手を出したら集めないと気が済まない気がして意識して遠ざけてたんです。でも珈琲となると手に取らないわけにはいかなかったそしてやっぱり期待を裏切らなかった。作家31名の著作の中から珈琲に関するエッセイを集めたアンソロジー。村上春樹氏が書いてるラム入りコーヒー飲んでみたい…。
読みながら自分の中での珈琲の思い出があれこれよみがえってきたのも面白い体験だったな。人生で初めてブラックコーヒーを美味しいと思ったきっかけの喫茶店とか。高松の街のはずれを自転車で巡ってた時にたまたま見つけて入った豪奢な見た目の喫茶店で一番安いコーヒーが1杯900円だった事とか。あとライブであちこちおでかけする度に、ほぼ必ずその街のスタバで珈琲のんでのんびり過ごす時間をつくってる(例外はたぶん沖縄ぐらい)のでこれは今後も継続していきたいなとか。
春日武彦/不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望
これ正直タイトルに冠されてる『不幸になりたがる人たち』の様々な具体例なんかより、言葉と語彙力に関する見解を述べてる章がマジで素晴らしかったのでそこだけでもみんな読んだらいいと思う。ポルノグラフィティさんのファンならおなじみの『パレット』という曲の歌詞の一部"だって知っている言葉はほんのちょっとで/感じれることはそれよりも多くて/無理やり 窮屈な服 着せてるみたい"を連想した。そうやって窮屈な服を着せ続けたらやがては思考のほうが言葉(単語)に引き寄せられてしまう、という視点から語彙力の貧弱さに対する懸念へと続くんです。これ実際わたしがこうしてパレットの歌詞をすぐさま連想した事実がその証左とも言えなくもないんじゃないかな。自分の頭で考えたり感じたりしているはずのものが実はとっくの昔に最愛のミュージシャンによって奏でられ歌われている事でしかないのだと認識すること。時と場合によって幸せになり恐ろしくもなるよ。